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資料に見ることのできる平安時代・鎌倉時代の波多野氏です。
佐伯経資
諸系図
11世紀前半
源頼信に従い平忠常の乱に参加する
波多野経範
『陸奥話記』
11世紀後半
源頼義に従い軍監として前九年の役に参加し鳥海の戦いで討死する
『尊卑分脈』
後冷泉院の時勲功あり 従五位下 母は佐伯氏
諸系図
左衛門尉 兵庫助 妻相模国守藤原公光娘 11世紀前半に波多野庄を領有
波多野経秀
『尊卑分脈』
従五位下 民部丞
諸系図
後三年の役(11世紀後半)に参加し波多野庄を領有する
波多野秀遠
『千載和歌集』
鳥羽院蔵人
『尊卑分脈』
従五位下 刑部丞
諸系図
誕生11世紀後半 死亡12世紀前半
波多野遠義
『永昌記』
12世紀前半
伊勢初斎宮御契に蔵人所衆として従事する
『吾妻鏡』
12世紀前半
義通に波多野本庄を譲る
『尊卑分脈』
従五位下 筑後守
諸系図
誕生11世紀後半
波多野義通
『吾妻鏡』
12世紀前半
遠義から波多野本庄を譲られる
『保元物語』
12世紀後半
源義朝に従い保元の乱に参加する
『吾妻鏡』
源義朝次男朝長の母は妹
『吾妻鏡』
12世紀後半
源義朝と不和になり波多野に戻る
『平治物語』
12世紀後半
源義朝に従い平治の乱に参加する
『吾妻鏡』
12世紀後半
義景に波多野本庄北方を譲る
『尊卑分脈』
従五位下
諸系図
誕生12世紀前半 死亡12世紀後半
波多野経家
『吾妻鏡』
12世紀後半 鎮西から鎌倉に戻る
波多野義景
『吾妻鏡』
12世紀後半 義通から波多野本庄北方を譲られる
『吾妻鏡』
12世紀後半 奥州征伐に際して所領を幼息に譲ることを願い出て許される
『吾妻鏡』
12世紀後半 源頼朝に対し所領譲与に関する異議申し立てを行い受理される
『吾妻鏡』
12世紀後半 奥州征伐に従軍する
『吾妻鏡』
12世紀後半 二所参詣の際に供奉する
『吾妻鏡』
12世紀後半 公顕僧正の接待・警固に従事する
『吾妻鏡』
12世紀後半 源頼朝の富士野の狩に従事する
『吾妻鏡』
12世紀後半 源頼朝の東大寺供養参列随兵として従事する
『吾妻鏡』
13世紀前半 御所南庭で開催された相撲三番に参加する
波多野義経
『曽我物語』
12世紀後半 源頼朝の狩及び邸宅の宿直に従事する
『吾妻鏡』
12世紀後半 源頼朝の挙兵呼び掛けを拒否する
『吾妻鏡』
12世紀後半 家臣大中臣頼隆が背き源頼朝に参陣する
『吾妻鏡』
12世紀後半 源頼朝に討伐命令を受けた大中臣頼隆に追われ自殺する
『吾妻鏡』
12世紀後半 所領である松田郷が大庭景義に与えられ子の有経も預けられる
『尊卑分脈』
松田 右馬允
波多野忠綱
『吾妻鏡』
12世紀後半 伊勢で平家方の伊豆江四郎と戦う
『吾妻鏡』
12世紀後半 勝長寿院開堂供養に随兵として従事する
『吾妻鏡』
12世紀後半 源頼朝上洛に先陣として従事する
『吾妻鏡』
12世紀後半 梶原景時糾弾の一人として連書状に名を連ねる
『吾妻鏡』
13世紀前半 仁田忠常討伐に際して弟五郎を討ち取る
『吾妻鏡』
13世紀前半 畠山重忠の乱に後陣として従軍する
『吾妻鏡』
13世紀前半 幕府南西政所前の戦いにおいて和田義盛の軍を退ける
『吾妻鏡』
13世紀前半 和田との合戦における論功行賞を認められ子の経朝が受賞の恩恵に預かる
『吾妻鏡』
13世紀前半 源頼朝の大江広元邸から御所への移動に随兵として従事する
『吾妻鏡』
13世紀前半 源頼朝の六字河臨法参加に際して随兵として従事する
『尊卑分脈』
従五位下 中務丞
波多野義定
『吾妻鏡』
12世紀前半 伊勢で平家方の伊豆江四郎と交戦する
『吾妻鏡』
12世紀後半 伊勢羽取山で志田義広を討つ
『吾妻鏡』
12世紀後半 部下の横領が発覚し櫛田郷を没収される
『尊卑分脈』
刑部丞
諸系図
誕生12世紀後半 死亡13世紀前半
波多野有経
『吾妻鏡』
12世紀後半 大庭景義に預けられる
『吾妻鏡』
12世紀後半 源義仲の家臣として馬允に任官する
『吾妻鏡』
12世紀後半 源頼朝に弓の腕を認められ義経の遺領の一村を与えられる
『曽我物語』
12世紀後半 源頼朝実施の富士野の狩に行列の先陣として従事する
『吾妻鏡』
13世紀前半 畠山重忠の乱に際して後陣として従軍する
『尊卑分脈』
松田二郎
諸系図
源頼朝に召し出されて松田庄を賜わる
波多野実方
『吾妻鏡』
12世紀後半 奥州征伐に従軍する
『吾妻鏡』
12世紀後半 源頼朝上洛に後陣として従事する
『吾妻鏡』
12世紀後半 源頼朝の東大寺供養参列に随兵として従事する
『尊卑分脈』
波多野余三
諸系図
武蔵国大蔵谷の戦いにより武蔵国広沢を賜わる
波多野盛通
『吾妻鏡』
12世紀後半 源頼朝の東大寺供養参列に随兵として従事する
『吾妻鏡』
13世紀前半 畠山重忠の援助により勝木七郎宗則を生け捕りにする
『吾妻鏡』
13世紀前半 勝木七郎宗則生け捕りの件について功を賞される
『吾妻鏡』
13世紀前半 和田合戦に際して腰越の陣に赴き参戦する
『吾妻鏡』
13世紀前半 和田合戦において和田方として戦死
波多野経朝
『吾妻鏡』
13世紀前半 源頼家の開いた大庭野の狩に参加する
『吾妻鏡』
13世紀前半 千幡元服の式に役送として従事する
『吾妻鏡』
13世紀前半 幕府から前浜辺の敷地を分与される
『吾妻鏡』
13世紀前半 幕府から学問所への奉仕を命じられる
『吾妻鏡』
13世紀前半 和田合戦に参戦する
『吾妻鏡』
13世紀前半 和田合戦の政所の戦いに従軍する
『吾妻鏡』
13世紀前半 和田合戦で忠綱が挙げた功績により勲功受賞の恩典に預かる
『承久記』
13世紀前半 「波多野中務次郎信清」
『吾妻鏡』
13世紀前半 藤原頼経の着袴の儀に馬引き係として従事する
『吾妻鏡』
13世紀前半 承久の乱に際して北条時氏・有時に従い摩免斗(岐阜県)に渡る
『承久兵乱記』
13世紀前半 宇治橋の合戦に参加する
『吾妻鏡』
13世紀前半 宇治橋の合戦・入京の合戦での活躍により行賞される
『吾妻鏡』
13世紀前半 後鳥羽上皇の三宮と称する一団を捕縛し褒賞として美作国(岡山県)の一村を与えられる
『吾妻鏡』
13世紀前半 藤原頼経が御所にて行った和歌会に参加する
『吾妻鏡』
13世紀前半 藤原頼経の泰時邸から御所への移動に従事する
波多野朝定
『吾妻鏡』
13世紀前半 供僧頓覚房良喜の御所での祈祷に実朝の使いとして案内役に従事する
『吾妻鏡』
13世紀前半 実朝から朝廷への使者としての任を受け上洛し実朝への左大将任命の除目を得て鎌倉に帰着し後日これを賞される
『吾妻鏡』
13世紀前半 九条頼経が鎌倉に向かう際乗輿警護に従事する
『吾妻鏡』
13世紀前半 北条政子の使者として伊勢神宮を訪問し願文を祭主神祇大副隆宗に付し鎌倉に帰着する
『吾妻鏡』
13世紀前半 承久の乱戦勝による村寄進の際の使者として伊勢神宮に派遣される
『吾妻鏡』
13世紀前半 将軍頼経の永福寺渡御に供奉する
『関東開闢皇?年代記』
13世紀前半 初の合奉行に任命される
『吾妻鏡』
13世紀前半 新御所で初めて催された和歌会に参加する
『尊卑分脈』
内舎人右兵衛尉 号波多野次郎 母は筑後権守俊兼の娘
波多野義典
『吾妻鏡』
13世紀前半 伊勢神宮に祈願のため派遣される
『吾妻鏡』
13世紀前半 伊勢神宮からの帰還途中に三河国で自殺する
『吾妻鏡』
13世紀前半 地頭として所有していた領地は収公される
越後阿閣梨
定憲
『吾妻鏡』
13世紀前半 地震などの祈祷に際し八文字殊法を修す
『吾妻鏡』
13世紀前半 明王院落慶法要に参堂する
『吾妻鏡』
13世紀後半 勝長寿院再建の法要に参堂する
『吾妻鏡』
13世紀後半 鶴岡八幡宮仁王会の請僧として供奉する
波多野義重
『吾妻鏡』
13世紀前半 承久の乱に際して北条時氏に従軍し右目を負傷する
『吾妻鏡』
13世紀前半 杭瀬川の戦いに従事する
『承久記』
13世紀前半 宇治橋の合戦に参加し右目を負傷する
『吾妻鏡』
13世紀前半 宇治橋の合戦での負傷について行賞される
『正法眼蔵』
13世紀前半 六波羅密寺の近隣に道元を招き『清法眼蔵』「全梯」の講義を受ける
『北条重時代官波多野義重書状案』
13世紀前半 囚人の請取りと播磨国への護送を申し送る
『永平寺三祖行業記』
13世紀前半 道元を越前志比庄に招き永平寺を建立する
『波多野義重添状案』
13世紀前半 三条大宮篝屋番役の違反者受取を後藤治部少輔に命じる
『吾妻鏡』
13世紀前半 将軍頼嗣の甲冑着始めの儀に従事する
『新日吉小皐月流鏑馬文案』
13世紀前半 流鏑馬事」の一人として名を連ねる
『吾妻鏡』
13世紀前半 鶴岡八幡宮の放生会で将軍頼嗣の出御に際して先陣の随兵として従事する
『吾妻鏡』
13世紀前半 放生会随兵の交名について三浦五郎盛時と争う
『吾妻鏡』
13世紀前半 交名について徹底糾明を重ねて申し入れる
『吾妻鏡』
13世紀前半 将軍頼嗣の方違いに供奉する
『道元禅師行録』
13世紀後半 越前永平寺に一切経を寄進する
『吾妻鏡』
13世紀後半 将軍頼嗣が開催した遠笠懸・犬追物に際して検見役として従事するする
『吾妻鏡』
13世紀後半 将軍頼嗣母が亀谷新造第に移る際に供奉する
『吾妻鏡』
13世紀後半 宗尊親王が鎌倉に下る際に京都から供奉する
『尊卑分脈』
従五下 出雲守 法名如是 六腹評定衆
波多野宣経
『吾妻鏡』
13世紀前半 将軍頼嗣の甘縄出御に従事
『吾妻鏡』
13世紀前半 弓始めの儀式に名前が挙がる
『吾妻鏡』
13世紀前半 鶴岡八幡宮の放生会に際して将軍頼嗣に供奉する
『吾妻鏡』
13世紀後半 将軍頼嗣の鶴岡八幡宮参拝に供奉する
『吾妻鏡』
13世紀後半 将軍頼嗣の近習一番16名ずつ六番が定められた中に任命される
『吾妻鏡』
13世紀後半 将軍頼嗣の二所参詣に供奉する
『吾妻鏡』
13世紀後半 北条重時主催の椀飯に馬引きとして従事する
『吾妻鏡』
13世紀後半 将軍宗尊親王御所での酒宴に伴う相撲六番に際して取り組みに参加する
『吾妻鏡』
13世紀後半 将軍宗尊親王の最明寺参詣に際して供奉する
『吾妻鏡』
13世紀後半 将軍宗尊親王の昼番衆に任命される
波多野盛高
『吾妻鏡』
13世紀後半 宇治川合戦の功績により行賞される
『吾妻鏡』
13世紀前半 将軍頼嗣の甲冑着始めの儀に従事
『尊卑分脈』
左衛門尉
波多野宣時
『吾妻鏡』
13世紀前半 将軍頼嗣の鶴岡八幡宮参拝に際して供奉する
『吾妻鏡』
13世紀後半 北条重時の沙汰で開催された椀飯に参会し三御馬を引く
『吾妻鏡』
13世紀後半 将軍頼嗣の近習一番16名ずつ六番が定められた中に任命される
『吾妻鏡』
13世紀後半 北条重時の沙汰で開催された椀飯に参会し四御馬を引く
『吾妻鏡』
13世紀後半 将軍頼嗣の二所(箱根・伊豆山)参詣に際して宣経と共に供奉する
『吾妻鏡』
13世紀後半 将軍頼嗣の北条重時邸移動に際して供奉する
『吾妻鏡』
13世紀後半 将軍頼嗣の母の亀谷新造第移動に際して供奉する
『吾妻鏡』
13世紀後半 御所の格子番に配される
『吾妻鏡』
13世紀後半 将軍宗尊親王の初の鶴岡八幡宮参拝に際して供奉する
『吾妻鏡』
13世紀後半 北条重時主催の椀飯に馬引きとして従事する
「六波羅御教書案」
13世紀後半 六波羅探題北条時茂から被告人国末を出頭させるよう命じられる
「波多野某施行状案」
13世紀後半 六波羅探題北条志下時の御教書を受け部下の五島に対し御家人上洛を促す
「新日吉小皐月流鏑馬定文案」
13世紀後半 「流鏑馬事」の一人として名を連ねる
『尊卑分脈』
左衛門尉
波多野秀頼
『吾妻鏡』
13世紀後半 北条重時の沙汰で開催された椀飯に参会し三御馬を引く
『吾妻鏡』
13世紀後半 将軍頼嗣の近習一番16名ずつ六番が定められた中に任命される
波多野時光
『吾妻鏡』
13世紀後半 将軍頼嗣の近習一番16名ずつ六番が定められた中に任命される
『吾妻鏡』
13世紀後半 北条重時の沙汰で開催された椀飯に参会し四御馬を引く
『吾妻鏡』
13世紀後半 北条重時主催の椀飯において馬引きに従事
『吾妻鏡』
13世紀後半 御所の格子番に配される
『吾妻鏡』
13世紀後半 北条時頼主催の椀飯に参会する
『吾妻鏡』
13世紀後半 北条重時邸に入る将軍宗尊親王に供奉し三御馬を引く
『吾妻鏡』
13世紀後半 北条重時主催の椀飯に五御馬を引く
『吾妻鏡』
13世紀後半 広御所修理の土公祭に際して使者を務める
『吾妻鏡』
13世紀後半 将軍宗尊親王の鶴岡八幡宮での放生会に際して供奉する
『永平三祖行業記』
13世紀後半 徹通義介を永平寺住職に請する
『健冶三年記』
13世紀後半 六波羅評定衆の一員として活動する
『健冶三年記』
13世紀後半 六波羅評定衆を解任される
『永平三祖行業記』
13世紀後半 永平寺弧雲壊弉危篤の知らせにより越前に赴く
『尊卑分脈』
左門尉
波多野定康
『吾妻鏡』
13世紀後半 北条重時主催の椀飯に馬引きとして従事する
『吾妻鏡』
13世紀後半 幕府で将軍の用務を行う伺見参衆に任命される
『吾妻鏡』
13世紀後半 将軍宗尊親王の乗馬見物に騎馬を披露
波多野義泰
『吾妻鏡』
13世紀後半 北条重時主催の椀飯に五御馬を引く
波多野朝義
『吾妻鏡』
13世紀後半 弓始め儀式において射手を務める
波多野重通
『永平三祖行業記』
13世紀後半 永平寺を退院する徹通義介に再任を要請する
13世紀後半 後宇多天皇の春日社行幸に大番武士として供奉する
波多野宣通
『光明寺文書』
14世紀前半 元弘の変で囚われた後醍醐天皇侍従中納言公明を六波羅勢として預かり後醍醐天皇が潜伏している比叡山攻撃に備えて東坂下に向かう
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